2024年2月訪問
福岡県糟屋郡須惠町の須惠町立歴史民俗資料館で保存されている、C11 257です。
C11 257の車歴は⋯
- 1944年1月 日本車輌にて新製、早岐区に配置
- 1945年3月 早岐区→佐々区
- 1970年10月 佐々区→早岐区
- 1971年10月 早岐区→門司区
- 1972年3月 門司区→熊本区
- 1974年4月 熊本区→行橋区
- 1974年8月 廃車
車歴はこちらから↓
C11257 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!
257号機は佐々区に配置されていた期間が長く、松浦線やそれに接続する世知原線、柚木線などで活躍していたと思われます。それらの路線はかつて鉱山からの輸送で賑わっており、当時の写真ではC11が貨物列車を牽いているものが多く見られます。
1970年以降は九州内を細々と移動しています。SL全廃の直前なので、検査期限などの都合で色々なところに引っ張りだこだったという感じでしょうか。
前面から見ていきます。前照灯が失われていますが、現役時はLP42を装備していたようです。またナンバープレートが赤に塗られていますが、これは保存時に塗られたもののよう。さらに煙室戸ハンドルは一般的によく見られる形状のものをつけていますが、現役末期の写真を見るとボックスタイプのものを使用していました。
デフレクターはいわゆる門デフ(K-7)を使用しています。K-7は小倉工場が施工した最もポピュラーなタイプの切取デフですが、C11形式では、佐々区にいた機関車を中心に10数両へ施された改造になります。保存されている機関車では、会津田島で保存されているC11 254や福岡県中間市で保存されているC11 260がいます。
少し角度を変えて…。煙突右横に細長い平板があるのが分かるでしょうか?これはリンゲルマン煙色濃度計というものを取り付けるステーになります。リンゲルマン煙色濃度計とは、煙の色を見て石炭の燃焼具合を評価するためのもので、九州の機関車には標準的に装備されていました。257号機が現役時の写真と見比べてみると、熊本区時代は現在のように撤去された状態になっていますが、その後の行橋区時代のものを見ると取り付けられており、区所や時期によっては取り外したりしていたようです。
後方を見てみます。後照灯はLP42、後部標識灯は小倉工場受け持ち機に見られる埋込式になります。
また後照灯の左右に四角いフードのようなものがありますが、これは運転室への通気口になります。これも九州のC11やC12に見られる改造になります。
反対の側面も見ていきます。左右の水タンクを枕木方向に繋ぐ2本の梁があります。C11形式の中でも走行速度が速いものに施されたもので、鷹取工場と小倉工場が担当する機関車に多く取り付けられています。走行速度が速いと左右の水タンクの揺れが大きく、それに伴って車体も大きく振動するため、その対策として施工されました。
また足元に目をやると、インジェクターなど蒸気が噴き出るところの出口にラッパ状のフードが付いています。これも九州の機関車で多く見られた改造です。直管のまま蒸気を噴射させるとバラストを巻き上げてしまうことがあるので、その対策として取り付けられているのでしょうか?この改造に関する文献は見たことがないので、あくまで予想になりますが…。
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2025年4月18日編集