2024年2月訪問

鹿児島県湧水町の湧水町鉄道公園で保存されているC55 52。
C55 52の車歴は⋯
- 1937年3月 汽車製造にて新製、小郡区に配置
- 1938年2月 小郡区→糸崎区
- 1939年4月 糸崎区→鳥栖区
- 1939年9月 鳥栖区→大分区(のちの大分運転所)
- 1964年10月 大分運転所→宮崎区
- 1968年10月 宮崎区→若松区
- 1972年3月 若松区→吉松区
- 1974年4月 吉松区→鹿児島区
- 1975年2月 廃車
車歴はこちらから↓
C5552 機関車データベース (形式C55) - デゴイチよく走る!
長らく日豊本線や吉都線で活躍してきた機関車である。大分時代は急行運用に就くなど華々しい活躍をしていたが、その後は筑豊や南九州で普通列車や貨物列車を主に牽引していた。廃車後は吉松町(現湧水町)の四ツ枝後公民館で保存されていた。その後1998年に吉松駅前広場へ移設、さらに2003年には湧水町鉄道公園として整備されて保存されている。鉄道公園整備の際に、肥薩線と平行だった当機は線路と直角に向きを変えている。

前照灯はLP403を使用している。助士側のデフレクターステーには、リンゲルマン煙色濃度計の取り付け棒が残っている。

デフレクターはK-6型の切取デフを装備している。1953年に小倉工場で試験的に取り付けたもので、この型式を装備する機関車はC55 52のみとなっている。デフレクター下部は、バイパス弁の点検のために脱着式となっている。なおバイパス弁上部の部分は1972年頃にカットされており、後方の支えにそのボルト穴が残っている。
そもそも切取デフというものはバイパス弁点検窓の設置と同様で、バイパス弁などの点検をしやすくするために施されたものである。しかし一般的に点検窓の方が改造が簡単であるため、切取デフは出来栄えも重視した結果生まれたものであるという説もある。
K-6型は小倉工場で試験段階にあった切取デフの内の一種で、ランボードの位置が高いC55形式でもバイパス弁などの点検がしやすくなるように考えられたものである。K-6型を含めた試験型式の成果により1954年にはK-7型が登場、多くの機関車に装備されるようになった。さらに小倉工場の技術者が各地の工場へ転勤したことにより、鹿児島工場、後藤工場、長野工場でも切取デフが生まれたのである。

先台車。

水かき付きのスポーク動輪が美しい。本来C55形式は第2動輪前後に砂管を設けているが、52号機では第1動輪前方にも砂管が増設されている。

空気圧縮機周辺。空気圧縮機の低圧蒸気シリンダ部には検査銘板が設けられており、これは鹿児島工場受け持ち機によく見られる特徴である。

テンダーの形式は「8-20」。元々はD51 12で使用されていたもので、ノンストップ区間が長い急行運用に就くようになった1951年頃に、より大容量のテンダーが必要となったことから交換されている。
木製の増炭囲いを設けていたが、保存後に現在の場所へ移動した頃には撤去されていたようだ。

後照灯はLP42を使用している。ナンバープレート左側には溢れ止め管が取り付けられているほか、埋込式の後部標識灯が設けられており、九州の機関車特有の装備を備えている。

運転室横にはタブレットキャッチャーが設けられている。それに伴いナンバープレートは前方へ移設されている。区名札は吉松区のものを取り付けており、南九州でよく見られる砲金製で復元されている。

インゼクターの溢水管の出口は、ラッパ状に加工されている。これは九州の機関車全般に見られるものである。

助士席前方には、150Lタンクの理研式清缶剤送入装置が設けられている。

運転室内。計器類や各機器がよく残存、整備されている様子である。
場所はこちら
2025年11月2日編集
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