2024年8月訪問

静岡県掛川市の中央公園で保存されているC58 49。
C58 49の車歴は…
- 1938年12月 川崎車輌にて新製、長町区に配置
- 1939年4月 長町区→新津区
- 1939年10月 新津区→長岡区
- 1942年1月 長岡区→一ノ関区
- 1945年7月 一ノ関区→正明市区
- 1948年7月現在 備後十日町区(のちの三次区、芸備線管理所)
- 1970年10月 芸備線管理所→敦賀第一区
- 1971年8月 廃車
車歴はこちらから↓
C5849 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!
主に中国地方で活躍した機関車である。戦時中の一ノ関区時代には陸軍南方方面作戦用供出対象車に選ばれ、実際に泰緬鉄道を走行するための改造まで施されたものの、制海権の状況などによりキャンセルされたというエピソードも持つ。廃車後は当地で保存されている。
中央公園の横を東海道本線と天竜浜名湖鉄道線が通る。天竜浜名湖鉄道は元は国鉄二俣線で、遠江二俣区のC58形式が活躍した線区として有名であるが、49号機は遠江二俣区に配置されていたことは無い。

前照灯はシールドビームのLP405を装備している。煙室戸ハンドルはボックスタイプの物を用いており、ハンドルそのものもかなり長い物を使用している。広島工場が受け持っていた機関車の特徴的として、ハの字のシンダー除け(エプロン)と埋込式の後部標識灯を備えている。

デフレクターにはバイパス弁点検窓が設けられている。縁の無い形状から、広島工場で施工されたものと思われる。

砂箱手前に増設された手すりも、形状から広島工場で取り付けられたものと思われる。缶逆止弁はボイラー上に設けられている。

助士席前には150Lタンクの鷹取式清缶剤送入装置を備える

運転室の窓は撤去されている。札差には三次機関区のものが差しこまれている。

運転室内は紛失している部品が多い。

テンダーを見ていく。後照灯はおそらくLP42を使用していたものと思われる。また広島工場受け持ち機の特徴で、埋込式の後部標識灯を備える。テンダー上へ上がる梯子は撤去されている。

運転室出入り口後部には、タブレットキャッチャーを取り付けていた跡が残る。

空気圧縮機周辺。空気圧縮機のドレンコックへ続く配管が切断されていたり、上部では加減弁引き棒が失われていることがわかる。元空気ダメのコックは、汽笛を鳴らしたりするために繋ぐ、外付けのコンプレッサーへのジョイントが設けられている。

2018年頃のC58 49。私の地元の保存車であるが、当時は近隣の学生の溜まり場にもなっており、荒廃しつつあった。現在は有志の手により整備されており、今後の展開にも注目が集まる保存車の1つとなっている。
場所はこちら
2025年7月27日編集
