2022年11月訪問
D51 222の簡単な車歴はこちら⋯
- 1938年12月 小倉工場で新製 大里区に配置
- 1941年5月 大里区→直方区
- 1943年11月 直方区→熊本区
- 1971年5月 熊本区→南延岡区
- 1973年1月 廃車
九州で生まれ九州で廃車になった機関車です。大里機関区とは、今で言う門司機関区になります。
沖縄と縁のない国鉄の機関車がなぜここにあるのか、那覇市のホームページで紹介されています。
与儀公園にD51が設置された経緯~D51設置までを写真で振り返る~|那覇市公式ホームページ
北九州市へ招待された沖縄の子供たちと、その期待に応えた国鉄職員の取り組みにより、1973年に遠路はるばる沖縄へやってきました。
前面を見ていきます。まず目立つのは前照灯。よく見ると車のホイールの縁を黒く塗って代用してあります。元々はLP403が取り付けられていたようです。他の特徴としては、ナンバープレートの左側に標識掛けが設置されていることでしょうか。
側面へ回っていきます。デフレクタのバイパス弁点検窓は縁取りされていて角のRは小さめの、小倉工場で施工されたタイプになります。
煙突を見てみると、元々取り付けられていたものとは明らかに異なります。後々の補修で交換されてしまったのでしょうか。
運転室を見ていきましょう。まず屋根や窓枠がかなり腐食しているのが目立ちます。
区名札は砲金製の「延」のものがしっかり残されています。製造銘板や標記の入った板も残されていますね。
テンダーを見ています。レンズは無くなっていますが、後部標識灯が埋め込まれています。これは小倉工場受け持ち機で見られる特徴です。後照灯はLP42が取り付けられていますが、普通レンズのスリットが上側にあるのに、これは下側にあります。レンズだけ逆さまに付いているようです。
よく見てみると、後部標識灯や後照灯へ向かう電線配管がほとんど外れてぶら下がっちゃっていますね。
運転室助士側です。こちらもナンバープレートや砲金製区名札、銘板等が残存しています。また助士席前方には、理研式150Lタンクの清缶剤送入装置が設けられています。
場所はこちら
2025年4月4日編集