2025年10月訪問

長野県木祖村の木祖村民センターで保存されているD51 238。
D51 238の車歴は⋯
- 1939年2月 鉄道省苗穂工場にて新製、山北区に配置
- 1943年5月 山北区→新鶴見区
- 1955年3月 新鶴見区→高崎第一区
- 1963年10月 高崎第一区→磐西線管理所(のちの会津若松運転区)
- 1972年10月 会津若松運転区→中津川区
- 1973年7月 廃車
車歴はこちらから↓
D51238 機関車データベース (形式D51) - デゴイチよく走る!
関東地方で長らく活躍してきた機関車である。転属までは至っていないものの、水戸区に貸し出されていた時期もあるため、常磐線でも活躍していたと思われる。晩年は磐越西線で活躍し、磐越西線のSL最終運用を牽引するなどしている。最後は中津川区に転属し数ヶ月ではあるものの中央西線で使用、廃車後は沿線の当地で保存されている。

前照灯はLP42を使用している。現役時代は前照灯と副灯ともにシールドビームのLP405を使用していたが、前照灯は保存時に交換、副灯は保存後のいずれかのタイミングで失われ台座のみが残っている。

デフレクターにはバイパス弁点検窓が設けられている。縁有りで角に緩いRがあるため、大宮工場で施されたものと思われる。
現役末期の中津川区転出時に長工式集煙装置を装備したが、保存に際して外されたようだ。そのため写真では分かりにくいが、煙突は短くカットされたままとなっている。

空気圧縮機まわり。

運転士側前方窓は現役末期まで旋回窓を使用していたが、現在はワイパー付の一般的なものに交換されている。

タブレットキャッチャーが取り付けられていた名残で、機関士側のナンバープレートは低い位置に移動している。

会津若松区時代には3000Lの重油タンクを搭載していたが、中津川区転出時に撤去されている。

後照灯にはシールドビームのLP405を使用している。

助士側のナンバープレートは通常の位置に取り付けられている。こちらは苗穂工場の製造銘板が失われている。

第4動輪から運転室まで記録式速度計の検出線が伸びる。助士席前方には150Lタンクの理研式清缶剤送入装置が装備されていたが、保存に際して外されたようである。

集煙装置の開閉棒などが取り付けられていた痕跡は残っていない。

運転室内。

各計器、機器類はよく残っている。

機関士席まわり。

助士席まわり。


助士側には記録式速度計の計器が残っている。中央西線を走る機関車や、北海道の一部の機関車に見られた装備である。外装の検出線が残っている機関車は多いが、計器まで残っている機関車は非常に少ない。
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2025年10月13日編集
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